MUSE CITY(武蔵浦和駅第8-1街区再開発事業)
(埼玉県さいたま市)
市が進める駅周辺整備事業の一環として、バブル期に東京へのアクセス条件を活かした再開発を立ち上げる。バブル崩壊によるキーテナントの撤退等を受けつつも事業を再構築して実現にこぎつける。
昭和60年のJR武蔵浦和駅開業をふまえた昭和61年のまちづくり勉強会の発足以降、再開発をめざした検討を続け平成9年に市街地再開発事業、高度利用地区等の都市計画決定を経て、平成11年に「武蔵浦和駅第8-1街区市街地再開発組合」設立認可に至りました。
しかしこの時期にキーテナントであるダイエーの撤退や参加組合員の脱退など、事業の根幹にかかわる環境変化に見舞われ、事業スキームを根本から組み立てなおして事業化に結び付けました。
バブル崩壊などの大きな変化の中で、地権者の合意と出口事業の確保を試行錯誤しつつ、証券化手法を保留床処分に活用する再開発として再構築して事業化。
再構築後のスキームの基本は、保留床処分にSPCを利用して証券化を図る手法を導入した事にあり、証券化スキームを郊外地域における市街地再開発事業の保留床処分に活用した先駆的事例です。
証券化手法を導入するため、施設計画を再検討し、SPC対応の商業棟と、権利床・分譲対応の住宅棟に区分した施設計画としています。
また、オフバランスを前提としたSPCによる保留床取得のため、実物不動産売買ではなく信託受益権売買としています。再開発組合が自ら委託者となり、不動産管理処分信託の設定を行っています。
商業棟にはSM・量販店、大型家具店が入り、住宅棟の低層部には医療モール・スポーツクラブが入居し必要な駐車場が確保されたことで、都市型住宅の立地が進む周辺地域の生活環境の充実に貢献しています。
道路の拡幅と合わせて道路沿いのオープンスペースを一体的に整備し、快適で安心できる歩行者空間を形成し、人通りも増えています。
保留床処分に導入した証券化スキーム
 
 
●武蔵浦和駅第8-1街区市街地再開発組合 理事長 松尾 勝也 氏

  昭和60年の埼京線開業に伴い武蔵浦和駅が誕生し、駅周辺地区と共に翌61年より当該区の再開発協議会が設立しましたが、再開発事業の推進時期に、バブルの絶頂を迎えそして崩壊と日本経済がめまぐるしく変動しました。その後長引く景気低迷期において保留床処分をすることとなりましたが、当然の如く処分先が見つかりませんでした。そこで組合は、当時の再開発事業においては先駆的事例となる保留床をSPCに売却する手法を検討し、導入することにより事業を成立させることに成功しました。
 また、当初より緑化率20%を目標に施設計画をしたおかげで、屋上庭園をはじめ、接道緑化・ポケットパークに植栽された緑の木々は、ヒートアイランド対策の一環となるばかりでなく、居住者や周辺住民、施設利用者の憩いの場として現在利用されています。

●さいたま市都市局まちづくり推進部浦和西部まちづくり事務所
 武蔵浦和駅第8-1街区では、人口増加の著しい拠点地区の武蔵浦和駅周辺地区に位置し、JR埼京線武蔵浦和駅が開業した昭和60年前後から街づくりの検討が開始されました。従前の土地利用は、法人所有の青空駐車場や資材置場が過半を占め、戸建住宅と小規模な共同住宅が立地し、土地の有効利用と都市計画道路等の整備が課題となっておりました。
 組合施行の市街地再開発事業は、平成18年6月に竣工し、商業棟、高層棟、PH(ペントハウス)棟が整備されました。事業の特徴は「商業棟のSPC」「PH住宅の整備」「屋上庭園の設置」などがあげられます。
 当再開発事業は、商業施設、公共駐車場、都市計画道路等が整備されており、さいたま市の副都心として健全な街づくりが推進されたものと考えております。
国道側のエントランス・オープンスペース
▲ 国道側のエントランス・オープンスペース
道路沿いのポケットパーク
▲ 道路沿いのポケットパーク
   
店舗エントランス
▲ 店舗エントランス
住宅棟の屋上庭園
▲ 住宅棟の屋上庭園
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